フロアコーティングの系統

「エッ?お金出すの?」などと息子側が答えたら、これはまだまだ当分は同居の話などに乗ってはならない。
同居の失敗例はほとんどがこんなところで、親が金を出して同居をスタートさせているのだ。
反対に、「それはそうだ。
だけどオレ二千万円が限度だな」と答えてきたら、これはおおいに前向きに考えてよいのだ。
親の側に多少の資金があれば、たとえ半額でも出そうとする子の姿勢が同居の意志の証と考えてよい。
後の同居もスムーズに行くことに間違いない。
親の方から同居を誘うことは、まかり間違っても行わない方がよい。
その答えは言うまでもないことだが、調べてみると案外これで失敗している親も多い。
もしどうしても同居の必要があって、子夫婦の意向を確かめたい場合は、あまり公開したくない、とっておきの秘訣がある。
せっかくの息子さん夫婦との同居に失敗して欲しくないために内緒でお教えしよう。
まず、「アパートに建て替えようと思うが図面を見てくれ」と本当にアパートに建て替える案をつくって息子に見てもらうのだ。
「エッ、ちょっと待ってよ、オレ帰るつもりだよ」とくれば前述の資金の話を進める。
「あっ、そう」とくれば、本当にアパートを建ててその収入で老後の生計を立てればよい。
むやみに同居するよりも幸せかもしれない。
〝深層家族主義〟は福祉を充実させない?同居のソフトウェアを考える前に、これからの社会変化を予測して、同居の意味を探ってみよう。
以前、欧米に福祉と住まいの調査に行った時の話だ。
ロンドンの大学教授から恩わぬ質問を受けた。
「日本はなぜ同居住宅を推進するのか。
いったいいかなる政策なのか。
子が親を養えば、政府が福祉行政や年金の心配をしなくてもすむからか」と言うのだ。
いきなり、この質問を受けてびっくりした。
なるほど日本の同居住宅は、英国人の福祉の専門家には〝妙案″と見えるのかもしれない。
もっとも、なぜ親が子夫婦と同居していても平気なのかわからないといった素朴な質問には、答えようがなかったのだが。
欧米人のライフスタイルに同居の例は少ない。
彼らは年老いて子夫婦の世話になることなど、大変恥ずかしいことと考えている。
と言うよりも夫婦の独立自立の精神が強すぎて、そんな発想がないのだ。
そんな高齢者の老後を国は保障しなければならない。
当然のことだが、そこに福祉政策が存在する。
同居家庭が多く、同居さえすればなんとか高齢者が食っていけるわが国では、福祉政策の充実はその分鈍重であったと言える。
政治家たちも子が老いた親を大切にし、親は孫たちと楽しそうに老後を送る大家族主義を主張するだけで有権者に好感を与え、充分に票に結びつく。
歴代の首相たちのイメージを思い出してみるとよくわかる。
なるほどこの点は欧米の大統領たちの妻を前面に押し出し、肩を組んで夫婦で主張する姿とは似ても似つかない。
おまけにいまだわが国では、「家のことは家の中で始末しろ」「人の家の台所に、とやかく口をさしはさむな」といった暗黙の了解が底流にあって行政を取り仕切っている。
加えて今日のこの二世帯同居ブーム。
さらには世界でも有数の貯蓄高。
あげくの果てはオニャンコの女子大生さえもが、「父母の老後は自分がみる」という若い人の保守化傾向。
どう控え目にみても今後老人福祉行政が充実する必然性がない。
ここで言う福祉行政とは、まさにイギリスやスウェーデンの〝墓場まで面倒をみる〟という完璧な同家保障のことであり、老人の在宅ケアだとかボランティア促進などといった中途半端なごまかし行政とはワケが違うのだ。
行政サイドから見る同居の利点ところで、高齢化社会とはいかなることをいうのであろうか。
実のところこの点明確にわかっている人は少ない。
老人が多い社会と言うことぐらいを感覚的に感じている人がほとんどだ。
最近の海外旅行ブームで欧州に行く人も多い。
あちらの公園や街角ではあっちにもこっちにも老人が目につく。
なるほどこれを高齢化社会と言うのか、などと実感して帰ってくる。
一方日本国内では「高齢化社会うんぬん……」といったシンポジウムや講演会が開催されることが多くなった。
すると、来場者のほとんどは高齢者である。
最近の老人医療費の問題などを、今の老人の問題だと思って来るからだ。
とんでもないことだ。
大変な誤解である。
ウィーンやストックホルムなどを高齢化社会とは呼ばない。
長い歴史の中で時間をかけてつくられたバランスのとれた人口配置の社会だからだ。
高齢化社会とは今の老人問題ではない。
むしろこれから話をすすめて行く限りにおいては、今の老人ほど年金や医療に恵まれた最高に幸せな人たちはいないかもしれないのだ。
本当の高齢化社会問題は、実は今もっとも忙しく働く、そしてもっとも数の多い四十代前後の人たちの問題なのだ。
いわゆる「団塊の世代」と言われる、あの出っ腹のようなドーンと太い人口のグラフの臭っただ中にいる人たちの悲惨な問題なのだ。
あのカタマリが一気に六十五歳以上の高齢者になるとき、すなわち、あと二十五年このまま寿命も伸び続け、出生率も低下するならば、なんと五、六人に一人が高齢者になるという。
「なんだ、五人に一人か、まだ四人も若人がいるじゃないか」などと、のんびりしている場合ではない。
片手を拡げて見てみよう。
親指が二十五年後のあなた。
人差し指が働き頭の若人、中指がその妻、そして薬指が高校から大学の学生、そして小指がまさに子供。
なんと、稼ぎ手は一人とその妻ということになる。
一人の老人をたった一人の働き手が確実に養っていくことになる。
しかもその妻、そして学生と小児と共にだ。
これは大変だ。
これでは年金にいくら支払っても意味がない。
ましてやその働き手本人の年金の貯えなどあてにもできない。
したがってこの時年金の制度そのものが崩壊してしまう。
実は二十五年も待つことはない。
この割合から察するとおり、すでに年金の支払い額は徐々に増え続け、いずれ給与所得の四十パーセント、五十パーセントにも達するであろう。
崩壊は時間の問題ともいえる。
すると当然の事に、この巨大な老人の塊には年金が支給されない。
民間の養老保険なども同様だ。
巨大な老人の浮浪の民の時代となる。
これが今問題となっている高齢化社会だ。
この異常とも言える現象に、正直言って行政レベルの妙案はない。
いかなる策を講じても、この巨大な数量を掛け合わせると老人の年金、そして医療保険には必ずマイナスの赤ランプがつく。
ここで、わが国の深層家族主義が浮上する。
幸か不幸か今、二世帯住宅を始めとする同居住宅のブームである。
いずれ二階に住む子夫婦が下階の老親の面倒を見てくれる。
老人たちも、子夫婦の生活の中にいれば住むことと食うことだけはできる。
寂しくもない。
後は行政サイドは医療に専念するだけでよい。
なるほど渡りに舟だ。
この「同居」をこうして福祉を含めた全体像として考えてみる時が来たと言える。
あなたはどう考えるだろうか。
〝住まいの高齢化″が心配老後を考えるとなんとなく同居した方が安心だ、という感じがしてくる。
そこで二世帯住宅に走る世界一という預金高の日本。
いったい何のために貯え、保険に加入し、財テクに励むのだろうか。
金持ち日本のあまり豊かでない暮らしぶりはいったい何なのだろう。
一度でも欧米を訪れた人なら誰でもが持つ疑問だ。
だがこの点について明確に答えてくれる経済学者も社会学の専門家もいない。
政治家もこの点は日をつぐむ。

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